Miki’s Diary

Mikiの徒然日記。

この日を忘れない為に~3月11日(金)~

東日本大震災発生から1週間経った、2011年3月18日に書いた日記。

文中のぷぅ~は、当時小学三年生だった息子です。あの日の事を忘れないため、こちらに転載しておこうと思います。

 

地震発生から一週間。
まだまだ不安はたくさんあるけど、昨日から仕事に行かず、自宅待機になったおかげで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
この体験を忘れないように、書き留めておきたいと思う。

地震発生時。私は有明の職場、6階にいた。
ドン、ドン、ドン。縦揺れが来た。これは何かが違う。
いつもの地震じゃない。直観した。

書類の入ったキャビネットがグラグラ。扉が開きそう。
男の人達が押さえてるけど、「中身出たら後で拾うから押さえないでいいですよ!!」

女の子達はみんな机の下に潜った。

治まってから、慌ててロッカーに携帯と貴重品を取りに行った。

3時前。ぷぅ~、ちょうど下校の時間。途中にいたらどうしよう?
学校か学童にいてくれればいいけど、交差点の真ん中で・・・。
考えるのやめた。まずは自分が避難しなきゃ。

前日、移してきたばかりの書類の棚が将棋倒しになってる。
販促物を入れた小さな倉庫はぐっちゃぐちゃ。

防災扉は全て閉まってた。

逃げる前にトイレ行きたい・・・。

トイレをすませ、階段で外へ。

そんな遠くない所から黒い煙がモクモク出てる。火災だ。

携帯は全く通じず。

目の前のホテルが先に安全確認できて、「寒いからロビーに入っていて下さい。」と言いに来てくれた。助け合い。

公衆電話なら通じるらしいという情報を得たので、列に並び、学童へ。

まだ学校にいて、これから集団下校してくる所との事。
ほっとした。
実家にもかけて無事との事。

早い段階で無事が確認できて良かった。

すぐにでも帰りたかったけど、電車は動いていない上に津波警報
今は帰るなと会社に足止め。

仕事しようにも手に付かない。

バスが動いている事が分かったので、本当はまだ待機と言われたけど、上司にわがまま言って、途中と帰宅時に電話入れる約束で5時半に帰らせてもらった。

ゆりかもめで電車の情報を仕入れ、今日は待っていても動かないと会社に電話したかったけど通じず。

事務所に戻る余裕もなく申し訳ないがそのままバスの列に並ばせてもらった。途中事務所に残る友人のメールアドレスを知っている事を思い出し、メール。

一時間待ってようやく東京駅行きの臨時直行バスに乗れた。
・・・が、通常30分で行く所、道路が混雑して1時間かけてもつかないかもと。時すでに6時半。

通常ぷぅ~のお迎えは7時。勿論こんな時だから、先生も分かってくれると思いつつ、何時に帰れるか分からない。
迷惑だと思いながらも、いつもお世話になっている同じマンションのママ友に迎えに行って貰えないかお願いのメール。

返信なし。届いてないのか、それどころでないのか。
センターに問い合わせしないとメールも届かなかったから・・・。

預かってはもらえなそうだけど、固定電話からなら学童に連絡つくかもしれないので、近所で仕事していておそらくすでにお迎え行って帰宅しているであろうママ友にもメール。せめて学童に私の居場所を伝えたくて。

返信なし。

無事は確認できてるか、あとは先生に謝ろうと諦めた。

2時間近くかかってやっと東京駅へ。8時過ぎ、公衆電話は凄い列。
それならバスの列に並ぼう。先生は待っててくれるはず・・・。

それでも携帯から何度もかけたら、奇跡的につながった!
こちらの状況を伝えたら、実は同じマンションのママがぷぅ~を連れて帰って預かっていてくれてるとの事。どうも先生は私と連絡がつかないからって残っててくれたみたいだったけど・・・。
感謝。そして申し訳ない。

南千住行きのバスにしばらく並んだけど、一向に次のバスが来ない。
歩いた方が早いか待った方がいいのか・・・。、

と思っていたら会社の友達から銀座線動いたらしいよ!とのメール。

バスで通ってきた京橋なら道が分かったので、戻って銀座線へ。
意外とすぐ乗れて、そんなに混んでもいなく、すんなり上野へ。

そこからなら歩いたってたいした事ない。
夜、帰宅難民がたくさん歩いていて不思議な光景だった。

私は寒さと、一刻も早くぷぅ~に会いたさに、小走り。

途中やっとママ友ともメールで連絡がとれた。
安心したら急にお腹すいた。

10時過ぎ。お家まで迎えに行き、そのまま私もお邪魔して夕飯頂いてしまいました。

娘さんは学童に行ってないので、学校へ迎えに行ったらしい。
もう一人の同じマンションの学童行ってるお友達と遊ぶ約束があったのに、何時になっても来ないから、きっと今日はお迎えないと帰れないんだと思って、その子のお母さんとも連絡取れなかったけどお迎えに行ったそう。
その時に「もしかしてぷぅ~君もまだいます?」って聞いてくれ、「うちで預かります!」って連れて帰ってくれたそう。

私のメールなんて届かず。いや、むしろ私がメールすらしてない時点で。

本当に感謝。こんな非常事態に人の子の事まで心配して、預かってくれるなんて・・・。自分の子学童に預けてるわけでもないのに。

クラブ側は、私に連絡取れないのにお願いしちゃったと謝ってたけど、やっぱり自分達で最後まで何時になっても預かりますって対応じゃないんだね。
今後もし何かあった時もその人にお願いしていいですかって言われた。
そのママはいいよ!そうして!って言ってくれるんだけど。ちょっと複雑。

肝心のぷぅ~は・・・。私は到着しても玄関に出てくることもなく、DSに夢中でした。
先生から私からすぐ電話あって無事だってのは聞かされてたみたいだし、どうせ遅くなっても走ってくるんだろうなって、別に心配してなかったみたい。

こっちはぷぅ~がいるから何とかして帰ろうって頑張って、連絡つかないからどうしてるか心配してたのにな。

とりあえず、地震当日は興奮状態。家族が無事だったって事しか考えられず、翌日のスキー、行くつもりになってた。

実際は、そんな甘いもんじゃなかった。

新潟でも地震あったし、あちこちで余震続いてるし、新幹線動いてないし。勿論スキーはキャンセル。ただ、全額返金してくれるとの事。
先ほど赤十字へ旅行代金のごく一部ですが、募金させて頂きました。

ベランダに出る窓の上の外壁タイル、少し崩れ落ちてた。
次大きい地震来たら怖いな。

そして物資不足。
ちょうどティッシュペーパーと米が切れかかっていて、生協で地震前に注文したのが昨日配送予定。届かなかったら・・・って心配してたけど、無事届きました。
切れかかってるトイレットペーパーも、自宅待機になったおかげで午前中に買い物行けたので買えました。

卵と牛乳も朝行ったらたくさんあった。1パックずつでうちは十分。

水は、ペットボトルに汲んでるから買わない。
時々中身入れ替えれば大丈夫。入れ替える時、古い方はお風呂に。

電池。懐中電灯用の予備が1セットしかないけど、売ってない。
とりあえず停電の対象になってないから、仕方ない。

万が一の為に備えたいけど、必要以上に買わなくても。

それから電気。

うちは輪番停電の対象にはなってない。
グループが都度変わるのかと思ったのに、そうでもないみたいで。
ちょっと申し訳ない。都区内は企業が多くて平日止まると不都合が多いなら、週末に対象にするとかしてもいいのに。

節電だけなら、今の私にもできるので、できるだけ協力しているつもり。
使ってないコンセント、全部抜いた。不要な場所のブレーカーは落としちゃう。
炊飯器使わないでお米は圧力鍋で。
食器洗い洗浄機を使わず、夕飯に使った食器は朝洗う。(キッチンの電気つけなくてすむから。)
ウォッシュレットもやめてカバーかけた。

なんか、地震後ずっとくらくらしてて、揺れてるんだかめまいなんだか。
頭が痛いのは寝不足なんだか、花粉症なんだか。

余震と電車の時間とでぷぅ~の事が気になって、会社にいてもずっと緊張感がとれてなかったけど、昨日からの自宅待機の措置で、ちょっとリラックスできた。何かあってもすぐ迎えに行ける距離にいるって、こんなに安心するもんなんだね。

被災地の人々の事を思うと胸が痛いけど、被害がなかった私たちまでまいってしまっては、日本が復興しない。
できるだけ早く普段の生活に戻って、経済的にも、精神的にも明るい希望を届けられるようになりたい。